不幸でいたかった。

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不幸は甘いものだと私は気づいていなかった。

不幸には中毒性がある。

嫌なこと、悲しいこと、つらいこと、そういうものをひとつひとつ集めて憂鬱な気持ちになる。

ダメな自分、かわいそうな自分でいることは、甘やかな世界で少しずつ窒息していくようなものなのかもしれない。

幸せがいざ目の前に差し出された時、私は素直に受け取ることができなかった。

幸せになりたいのに、とても怖かった。

それを受け入れたら、覚悟を決めなきゃいけない気がして。

事実、私は特に嫌なことがあったわけでもないのに、むしろ、いいことがあった日なのに、不幸の種を無意識に探していた。

 

不幸には中毒性がある。

やめたくてもやめられない甘いお菓子のような。

 

でも、私は甘やかな地獄で窒息なんてしたくない。

幸せに生きていきたい。

 

 

 

魔法なんてない。

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私と年の変わらぬそのひと。

背中を丸め肩を震わせて泣くそのひとは、誰かに愛されていることこそが自分の価値そのものなのだと。

簡潔にまとめるとそういうことだ。

 

かつての私を見ているようだった。

 

誰かに自分の人生を委ねてしまう。

それはこんなにも恐ろしいことなのだと。

 

彼と結婚できないかもしれないことに端を発し、彼女の不安は遠い未来を憂いているのだろう。

私の人生はどうなってしまうのだろうかと。

 

でも、"彼"は置いておいて、"私"はどうしたいのか、どんなふうに生きていきたいのか、自分の手の中に自分の人生を取り戻さなければ、ずっと誰かに振り回されるだけになってしまう。

 

少し前までは私だって同じだったと思う。

彼氏がいない(=誰かから愛されていない)

そんな私には価値がないような気がしたことが何度だってあるし、実際彼が途切れないようにしていたことだってある。

 

でも、誰かと生きていくには、最低限自立していなければならないことがわかったから。

それは、たとえば精神的に、経済的に。

自分でごはんが食べられるくらいの経済力と、ひとりで考えることのできる心と。

一方的に依存したりされたりする関係は、やっぱり健全ではない。

 

人生を共にすることと委ねることは違う。

 

キャリアプランを考える上でも、ライフプランを考える上でも、自分が中心にいなければ、きっと本当に納得した答えは導き出せないと思う。

 

私が彼との生活を大事にしたいから彼を優先するのと、彼がいないと私の生活が困るから彼を優先するのでは、同じようで全然違う。

うまく言えないけど。

 

すごく悲しくなる時間だった。

 

私はもう二度と自分の人生を誰かに渡したりしない。

自分で手綱を握り続ける。

 

High line

揺れる綱の上 たわむ綱の上

正気じゃいられない

 

High Line 土岐麻子

 

一番、そばで。

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私のことを否定していたのは、他の誰でもなく私自身―。

 

外見のこと、内面のこと、仕事のこと、子育てのこと、あらゆる自分を否定し、酷い言葉を浴びせ続けていたのは、私自身だったことに気がついた。

誰からも何も言われていないのに、いつも責められているような気分で苦しかったのは当たり前。

いつも側にいる自分が責めて、詰っていたんだから。

 

「そんなこともできないの?」

「母親のくせに」

「そんなに食べたら太るよ?」

「そんなことしても無駄だよ」

「どうせ捨てられるよ?」

 

みんな、私が自分自身に言っていたこと。

それも毎日毎日。

 

幸せになりたいと思っていたけど、それを邪魔していたのは、自分だったんだな。

 

これからは自分にやさしい言葉をかけてあげよう。

そのままを認めてあげよう。

私は幸せになっていいし、幸せになれる。

自分で自分を幸せにできる。

 

 

 

 

朝ごはんを食べよう

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3ヶ月ぐらい前まで、朝ごはんをまともに食べない生活を5~6年していた。

子どもが生まれて、仕事を始めてから、バタバタした朝は食べるよりも他のことがしたくて。

そのまま出勤して、お昼まではカフェラテか紅茶で空腹感をごまかして仕事をする。 

10時にはもうお腹ペコペコ。

(午前中はどんなにお腹が空いていてもお菓子はつままないと決めている。)

 

ある時、職場で仲良くしてもらっているお姉さんに「ちゃんと朝ごはん食べてる??食べないと頭働かないし、身体も冷えたままだよ!」と言われて。

その人は、40代後半なのだけど、いつも明るくでご機嫌で、素敵な女性で。

あ、私も朝ごはん食べなきゃと。

 

それから、少し早起きをして朝ごはんを食べるようになりました。

 

パンの日もあれば、雑穀米の日もあるけれど、必ずスープやお味噌汁などの汁物を用意する。

前日の晩ごはんの時に多めに作っておいて朝も食べる感じ。

昨日は、お気に入りのパン屋さんの食パンに生ハムを合わせて、コーンスープ。

今日は、雑穀米とキャベツとキノコのかきたま風中華スープ、めかぶ。

なるべく手間をかけないことが続けていくコツだなと。

朝ごはんを食べるようになってから、全体的に余裕が出てきてお弁当も作れるようになった。

 

今まではお昼までお腹ペコペコで集中力もなかったけれど、朝を食べるようになってから空腹感に悩まされなくなって集中できるように。

仕事の都合で14時過ぎからお昼を食べるのだけど、その時間までちゃんと持つ。

お昼がずれ込むようになってから、間食も自然と減りました。

 

それからカフェインを減らすことにも挑戦中。

朝起きたらコーヒーか紅茶、仕事中はコンビニのカフェラテ(無糖)か、インスタントコーヒーを大きなマグカップに2~3杯、家に帰っても紅茶。

カフェイン入りのものしか摂っていないことに気づいて。

最近はコーヒーは1日1杯、あとはほうじ茶を飲むように。

 

少しずつ少しずつ無理なくいい方向に変えていけたらいいな。

 

 

 

この世界

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ズタズタに心を引き裂かれた日、家のドアを開けたらこんなに美しい花束とケーキが用意されていた。

 

何でもない日なのに。

むしろ最悪の日なのに。

 

私が生きている世界はあたたかくてやさしくてしあわせなもの。

 

もうズタズタに心を引き裂いてくるような存在を私の世界には1ミリも踏み込ませたりしない。

 

絶唱

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金曜日の夜、家族の帰りを待ちながら、湊かなえの『絶唱』を読んだ。

五歳のとき双子の妹・毬絵は死んだ。生き残ったのは姉の雪絵ー。奪われた人生を取り戻すため、わたしは今、あの場所に向かう(「楽園」)。思い出すのはいつも、最後に見たあの人の顔、取り消せない自分の言葉、守れなかった小さな命。あの日に今も、囚われている(「約束」)。誰にも言えない秘密を抱え、四人が辿り着いた南洋の島。ここからまた、物語は動き始める。喪失と再生を描く号泣ミステリー。

楽天ブックス: 絶唱 - 湊 かなえ - 9784101267739 : 本

震災を経験し、心に傷を負った人々のそれぞれの物語。

私は「楽園」と「太陽」が胸に残った。

死について、生きていることについて考えさせられた。

この物語は著者の経験が絡められているので、ノンフィクションでありながらフィクション。

 

湊かなえの作品は、読んで元気が出るとか前向きになれるとかそういうものではないけれど、じわじわと胸にくるものがあるという感じ。

 

秋の夜長は読書で楽しむ予定。